2007.11.07.Wed

【第1話 丘の家と師弟】
 グツグツコポコポと、セディーは朝食となるスープをかき混ぜていた。
 朝早くに、セディーが自慢の裏庭で採ったばかりの野菜たちが、食欲をそそる良い匂いを部屋中に充満させている。
 スープの仕上げとなる調味料と隠し味を入れたところで、いつものように階段を下りてくる慌ただしい足音が聞こえてきた。
 セディーはスープをかき混ぜていた木ベラを横に置き、大きなため息をついて、すぐさま空気を胸一杯に吸った。
「先生!!もう少し静かに降りてきてくださいって、毎日毎日何回言ったら分かるんですか?!」
 セディーに朝から怒り声をあげさせている人物は、いたって悠然と言うべきか、単に寝ぼけているだけなのか、何だか区別が付かない足取りで台所にやってきた。
「おはよう、セディー。朝からそんなに大きな声を出していると、近所に迷惑がかかるよ」 
肩に届きそうな長さ程の、月の雫を一滴落としたかのような薄い金髪の男。
 すらりとした長身で、ものごしは柔らかく、またその灰青色の瞳からは、貴族とも思えるような気品さえ感じる。
「一体誰のせいだと思っているんです?それに、この家の周りにはご近所さんなんていませんよ!!」  
まさしくセディーの言う通りである。この大きくも小さくもない微妙な家の周りには、お隣さんを始め、ご近所さんなんていない。あるのはセディーの住んでいるこの家だけだ。だから、誰が大きな声を出してもいいはずなのだが。
「うーん・・・。それもそうだね・・・。・・・でも、この家は誰の・・」
「はいはいはい!先生の家でしょう?そのぐらい私でも分かってますよぉ――だっ!」
 ——そう。この家の持ち主はセディーではない。したがって、セディーではないのだから、階段を慌ただしく降りてきた人物がこの家の持ち主となる。
 その人物は、セディーに「先生」と呼ばれているのだから、何かの能力があったり、頭が良かったりするのだろう。先生は一体何者だろうか。
「よく分かってるじゃないか。だから、僕の家ではあまり大きな声を出さないでくれるかな。・・・ところで、今日の朝食は何?この匂いからすると、もしかして僕の大好物かなー」
 セディーは何だかんだ言ってても、いつもこの人には感謝している。
「・・はあ・・・。その通り、正解ですよ先生。ちょうど出来上がりましたから、椅子に座って大人しく待っていてください・・」
 セディーは、先生が素直に台所を出て、リビングにある椅子に座ったのを見届けてから、スープをお皿によそい始めたのだった。

——ところで、先生は一体何者なのか?
 
 初めて、セディーと先生が会ったのは、今から三年前の春だった。

 セディーは生まれて間もない頃、両親が何らかの事故に巻き込まれたため、孤児院に届けられ、そこで十一歳になるまで生活していた。
 この時代の孤児院では、一人で働けるだろう十一歳になった子供は、孤児院を出て働くか、誰かに引き取ってもらうことになっていた。
 セディーも論外ではなく、大好きな孤児院の友達や優しいシスターと別れなければならなくなった。
 最初のうちは悲しくて、涙もポロポロ流していたのだが、前向きで明るいプラス思考の性格もあってか、孤児院の外に出られて自由な生活を送れるのだろうという想像を膨らませ、これからの明るい人生を楽しみにしていた。
 本当にそこまでは至って順調だった。

 いよいよ運命の分かれ道となる日がやってくる。
 遠足前の子供みたいに早起きしたセディーは、みんなにお別れを言って、涙してくれた友達やシスターと抱擁を交わし、足取りも軽やかに元気よく大都市アドモンドへと向かった。
 しかし、現実はそんなに甘くない。
 長い道のりをテクテクと歩いていたら、子供一人だったことに目をつけられたのだろうか、いかにも危なそうな大柄の男達が近づいてきて、あっという間に所持金をすべて持って行かれてしまった。
いくらセディーであっても、お金が一文もないことには途方に暮れた。
 しばらくたった後、このままではどうしようもならないだろうと考え、とにかくアドモンドには辿り着こうと決意するセディーであった。
 
——もうかれこれ、孤児院を出発してから二日は経っているだろう。
 一文無しのうえ、ずっと孤児院の中で過ごしてきたセディーには、頼ることのできる人や泊まる所を提供してくれる人など、そう簡単には見つからなかった。
 孤児院での最後の食事となった朝食は、思う存分食べてきたのだが、それから丸一日、何も飲み食いしてないため、スッカリからっぽになった胃袋は、ずっとグーグーと鳴いている。
 セディーは、空腹と睡眠不足に悩まされながら、もう意地か執念か分からなくなってきた感情のままに、ひたすら目的地に向かって歩き続けていくのだった。

——ぎらぎら照っている太陽が、ちょうど青空の真ん中にやってきた。
 ふらふらのセディーは、いったん休憩しようと、道の端に腰を下ろした。
 ふと顔を上げてみると、反対側の道の端には、古い看板が立っていた。
「・・はあぁ・・・。えーっと、『大都市アドモンドまで あと一キロ』ねえ・・・」
 ここまで歩いてきて、まだ一キロもあるとは。
 心境はまさに、トホホ、である。
 既にセディーの体力は限界の域に入っているのだが、はるばる孤児院からやってきたからには絶対に辿り着かなければならないことを、セディーは重々分かっていたので、ふらふらしながらも最後の力を振り絞って立ち上がり、再び足を動かしたのであった。

——ここは大都市アドモンドの入り口。
 そこへ、今まさに辿り着いた男がいた。
 その男は直接、大都市アドモンドの中心まで魔法の力で移動したかったのだが、アドモンドではどんな魔法でも無効にする力が働いているため、そうはいかなかったのである。
 だから、一歩手前の入り口まで魔法で移動してきた。
 いくら楽をしてここまで来たとはいえ、男はかなりの体力を消耗していたので、アドモンドに入る前に、少しだけ腹ごしらえをすることにした。
 辺りをきょろきょろと見渡し、何か腰を掛ける所はないか探して、ふと後ろを振り返ると、男の視界に小さな人影が映った。
 向こうから、もう少しで倒れそうな子供が近づいてくる。
 男は好奇心旺盛だったので、腰掛ける所を探すのを一時中断して、じっとその子供を見つめていた。
 子供はよろよろふらふらしていて、見ているこちらがはらはらしてしまう。
 だが、子供は確実にこちらへとやって来ている。
  
——ガクッ

 しかし、子供はついに道端に倒れた。
 このような場合は、すぐに駆け寄って助けるべきだろう。
しかし、男は現場を目撃していたのだが、面倒くさいことは大嫌いであった。
 ・・・ここはひとまず見なかったことにして、さっさとアドモンドへ入ろう。
 男の脳裏には、そんな人でなしの考えがよぎった。
 だが、本当にそんなことをしていいのか。
 よりによって倒れているのは、幼い子供だ。
しかも、よく目を凝らしてみると、土の上に広がっているのは長い髪の毛だろうから、少女なのだろう。
男の心へと、悪魔と天使のささやきが、交互に呼びかけている。

——仕方ない。・・・あの子供もこちらへ向かってきたのだから、目的地はアドモンドなんだろう。・・まぁ、子供一人ぐらい問題ないか・・・

 心優しい男は、ぐったりしている少女へと歩み寄っていった。

 この男の名は、アレクシス=ルマーツェ=エプセンシア。
 年齢は外見から推測して、二十代半ばといったところ。
 なんと職業は魔法使い。自称:大魔法使いエプセンシア、本人であった。
 その大魔法使いがひょんな事から助けた少女の名は、セディー=エトワイト。
 意識を取り戻してから、大魔法使いを目の前に、直接弟子入りを頼み込んだ張本人である。

 これが、大魔法使いエプセンシアと少女セディーの出会いだった。

——かくして、先生と弟子の生活が始まったのである。


2007.11.07.Wed

【第00話 漆黒の闇夜に包まれて】
柔らかな室内の空気とは異なる、厳しい冷気が肌にふれている感覚に気づき、
少女は重い瞼を持ち上げた。
当然だが、漆黒の暗闇になれていない目は、何も映してくれない。
 少女の体は、ただただ何もできず、草の上に横たわっているだけだ。
 
 ——私はどうして外にいるの?

 そんなことを、まだ霞がかかっているような頭で考えていたら、自分の体の近くで小さな灯りが灯された。
 少女は横たわったまま目線だけをうごかして、灯りがある所を見ようとする。
 ぼんやりとした少女の目に映されたのは、フードを深くかぶっている「誰か」だった。
 しかし、その「誰か」は一人ではなく、複数いた。
 
——カサッ

複数の目が、いっせいに向けられる。
少女が頭をうごかしたときに、そこに生えていた草が、かすかにこすれあった音に気づいたのだ。
押し殺した声を聞いたのを最後に、少女は頭を持ち上げられ、首に鈍い衝撃を受けて意識を失った——。

 少女の行方を探している者など、誰ひとりといないだろう。
 ——この哀れな少女は、存在すること自体が罪だったのだから——

【第0話 丘の上から眺める景色】
 ここは大都市アドモンド。しかし、セディーの目には、無駄に豪奢で大きな王宮や道を行き交う大勢の人々など、小さな豆粒のようにしか映らない。
別にセディーの目が悪いのではない。むしろ良すぎるといっても過言ではないくらいだ。
それなのに、豆粒ぐらいにしか見えないというのは、セディーの立っている場所に問題があるからに違いないだろう。

ここは大都市アドモンド。だが、少女が立っているのは、小高い丘の上だった。もちろん、大都市アドモンド市内ぎりぎりに位置している。